新刊『歎異抄をひらく』には、読者の皆様から、毎日たくさんの感動の声が届いています。その中に、こんなお便りが寄せられましたので紹介します。
以前、司馬遼太郎が兵役中、『歎異抄』が心の拠り所だったことを読んだことがあったので、分かりやすい解説本みたいなものが欲しかった。まさしくこの本がそれであり、なおかつ流れるような書家の筆先に、エクスタシー(恍惚感)を感じた次第であります。
(神奈川県 44歳・男性・会社員)
もう20年も前に司馬遼太郎の言に触れて、人生、ある時期に達したら『歎異抄』を読みたいと、ずっと思っていました。私のあこがれの書でした。じっくり読み返したいです。
(東京都 70歳・男性)
小説家・司馬遼太郎さんが、戦争に召集された時、心の拠り所として『歎異抄』を愛読していたことは、よく知られています。
その心境を、後に、講演で次のように語っています。
「兵隊となってからは肌身離さず持っていて、暇さえあれば読んでいました」
「非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね」
「理屈も何もありませんが、どうも奥に真実があるようでした。ここは親鸞聖人にだまされてもいいやという気持ちになって、これでいこうと思ったのです」
(『司馬遼太郎全講演』第1巻より)
司馬遼太郎さんの言葉に触れ、一度は『歎異抄』を読んでみたいと思っている方は、結構多いのかもしれません。
また、司馬さんと同じように、太平洋戦争に出陣した若者には『歎異抄』を心の支えにしていた人が多かったと言われています。
東京都の83歳の読者の方からも、こんなお便りを頂きました。
『歎異抄』は、若い頃から一度ジックリ読みたいと思っていました。
軍隊へ入る前、学友にすすめられて拾い読みした記憶があります。当時、軍隊へ行く学生の多くは『歎異抄』を読んでいました。戦争が終わり、とりあえず生命の心配がなくなると、いつの間にか忘れていた『歎異抄』でしたが、人生最後の日が近くなると、なぜかこの本が懐かしくなるのです。
1万年堂出版の新刊『歎異抄をひらく』は、オールカラーで読みやすい編集を採用し、難解な仏教用語には注釈を入れるなど、より分かりやすく、多くの人が親しめる作りになっています。「いつか分かりやすい『歎異抄』の解説書を読みたかった」という人も、「日本人の教養として読んでおきたい」という方も、ぜひ、書店で手にとってご覧になってくださいね!(^^)


貴社のホームページにおいて、
西田幾多郎先生が
「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる。」
と仰ったことを書いておられます。
しかし、正確には歎異抄だけではなく、『臨済録』と『歎異抄』の2つであります。
歎異抄を褒め称えられたことを強調したいために、改変されたのかは
わかりませんが、なるべく正確に表現すべきではないかと思います。
どのような形で申し上げればよいのかわからなかったので、
ブログのコメントという形で、申し上げることにしました。
失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
あき太様がおっしゃるとおり、原典には、次のように記されています。
哲学者西田幾多郎は第二次世界大戦の末期、「いっさいの書物を焼失しても『臨済録』と『歎異抄』が残れば我慢できる」と語ったと伝えられ、敗戦直後に獄死した三木清も「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」と言ったといわれる。
(谷川理宣・土井順一・林智康・林信康編著『歎異抄事典』)
『歎異抄』とは、どういう書かを説明する時には、『臨済録』を省略して、西田幾多郎の言葉を掲載することがあります。昨年末の、日本経済新聞で、『歎異抄』ブームが報じられた記事の中にも西田幾多郎の言葉が、やはり『臨済録』を省略した形で掲載されていました。
ご了解いただきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
臨済録を省いた理由は了解いたしました。
コメント有難うございます。
ご理解いただいたようで、何よりです。
これからも『歎異抄をひらく』、
そして弊社の本をご愛読下さるよう、よろしくお願いいたします。